室町幕府の時代に藺草作りのから 足利義満(鹿苑院義満)の同朋衆となった方の家系図です 谷川四朗左衛門 信勝!! 同朋衆名は 藺阿弥 (藺草を栽培していたから) 宗珍は織田信長より石見守の官位を頂いており 天下一 の称号の朱印書を頂いたとされてます 称号とともに、伊阿弥性を名乗りました その子ども 長勝 家長は豊臣秀吉に仕え 関ヶ原の合戦後には、家長は徳川家康と共に江戸に下り (そのとき京都の畳職人30人もつれて江戸にね!) 江戸城の畳取り仕切り『御畳大工』となりました 官位も伊予守を授かりました 長勝は大阪城落城とともに没し、子孫は京都にて隠居生活を送りました のちに京都で禁裏御用『御作事畳大工』として従事していきます 江戸と京都の伊阿弥家は畳師では頂点として畳業に従事していきます 江戸城の畳大工は伊阿弥家のほかに早川家、中村家の三家で 世襲で受けついていきます 江戸城のほかに日光・久能山などの幕府の管 (水戸・尾張・紀州のお城なども築城時には畳役として出向いてるとのこと) の工事も承っていたそうです
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参考にさせて頂いた資料です |