和田氏誕生 和田の名字が出来たのは1147年三浦半島を中 心に勢力を伸ばしていた三浦義明の長男三浦(杉 本)義宗の子義盛が相模の国三浦郡和田に住み ついいたことにより 和田に改名したことより始ま ります。もともと三浦氏は桓武平氏一族であり桓 武平氏良文流の流れを持つ世にいう坂東八平氏 の一員である。 |
和田氏の活躍 源頼朝が平家討伐の旗を揚げたときより側近として活 躍し、鎌倉幕府が開かれたとき初代の関東武士と統 率する侍所別当に和田義盛が就任する 頼朝の死後北条氏ともに御家人による集団統治体制 を作る |
和田氏の最後 和田氏は権力基盤を強固のものにするため1190 年梶原景時を倒し幕府内の重臣としての地位を 固めていくが同じく北条時政も勢力を伸ばしてく る。 1205年平賀朝雅の乱が起こり宿敵北条時政を幕 府の中心より追いやることに成功する。 しかし1213年2月泉親衝の乱がおき和田一族の 中に北条氏討伐のこの乱に参加したものがおり 領地が没収となる。1213年5月和田義盛は北条氏 の対して決起する和田の乱でであるしかし同族の 三浦氏の裏切りで和田氏はほぼ壊滅する しかし和田義盛の弟の孫和田実茂が幕府側につ いていたため和田の家名は現在まで残る また義盛の8男が定かではないが 高崎に居城を 構えた (関西に於ける和田姓は清和源氏の流れであり ます) おもに越後の三浦和田一族 上州高崎において活躍した義盛の8男は和田城を 築城してます |
当家の和田は? 八王子市小宮町や石川町・日野市栄町に多くすんで いる和田家は 鎌倉時代に今の八王子市高月町にあ る高月城に居城を構えた大石氏と共に来た武士が 土地に土着したものと思われます。 多摩・山梨の山中に隠れ住んだ 和田の末裔もあり 定かではありません |
家紋 当家の家紋です。この家紋は 三つ引き両 で 三浦家と近縁だからと考えられます 関東越後の 和田家はこの家紋の種類を多く用いています |
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高崎で活躍した和田氏の家紋 三つ引両に檜扇です |